日本健康同盟(略称・健康同盟)
Page 13 (2006年4月12日記載)
訃報:2006年2月12日:この日、健康同盟副会長の松岡安夫氏が70歳で永眠されました。
氏は、糖尿病に罹患しながらも、長い間、食事コントロールに努め、ほぼ正常に血
糖値を維持しておりました。
その努力は医師からも称賛されるほどでしたが、ここ最近は、心臓疾患 (弁膜症
に因る不整脈、両脚の浮腫) に悩まされておりました。
本年1月16日、かねて予約していた日大板橋病院に入院、当月20日に手術 (金
属の弁膜を挿入、弱っていた弁膜と交換) されました。2月6日、早くもリハビリの
為の病院、関野病院(都内、池袋)に転院されました。
それから、どういうわけか1週間も経つか経たないうちに体調を崩され、同月
12日に急に同病院で亡くなられました。
2月17日に、通夜の儀、翌日、18日、告別式の儀が板橋区蓮根の 「蓮根レイン
ボーホール」 で家族の意思により、近親者の間で、しめやかに執り行われまし
た。氏は、1985年秋頃までに、後に健康同盟世話人代表(会長)となった酒井洋
明高校教諭(当時)と出会い、健康同盟結成の構想を共に語り合い、間もなく、協
力して結成準備会を発足させました。
其の後、十数年の準備期間を経て、1992年8月と9月の二日間に亘り、結成大
会を開催する運びに漕ぎ付けたのも、酒井会長を同志として強力に支えてきた故・
松岡氏の力があったからこそであります。
ここに、改めて、心から哀悼の意を表明致します。(酒井洋明記載)
▲ 追申:
様々な事情があって、皆様にご報告が遅れたことをお詫び申し上げます。
松岡さんの突然の逝去は、長い間、健康同盟の同志として苦労を共にしてきた私にとっては大変なショッ
クでした。同盟の機関紙を結成準備会の1989年(平成元年)の段階から一貫して10年間以上も亘り発
行できたのも、「集会(体験発表、報告会、講演会等)」を開くことが出来たのも、彼の支えがあったから
であります。
郵送事務の役員会や「集会」では、他の人が欠席しても彼が欠席する事はほとんどありませんでした。
当時は、同志として当たり前のように思い、松岡さんへの感謝の念を忘れていた私でした。
生前、昨年12月、電話で、松岡さんの労苦を称え、また、病身の彼への激励の気持ちも込めて、
「松岡さん、貴方があってここまで来れました。貴方が居なければ、健康同盟の活動は出来なかった
と思います。統合医療システムの構想も生まれなかったと思います。本当に有難う御座います。
これからも健康同盟への夢を抱いて、私と一緒に共に頑張りましょう。私の夢を応援してくれている強
力なベンチャー企業、鉱山開発会社のオーナもいます。
手術を乗り越えて元気になって下さい!」
と、改めて謝辞を申し述べると、「酒井さん、涙が出てきますよ。そうですね、夢をもって力強く生きること
が病気を乗り越えるためにも大切ですね。」と共感されておりました。
私は、今でも彼が生きている感じがしてなりません。彼の死を信じる事が出来ません。
それは、きっと、彼と語り合った健康同盟の夢を忘れる事が出来ないからでしょう。
彼が健康同盟に託した夢、真実の健康医学情報の追求、潜在する自然治癒力の開花、
生命の力の無限の可能性、そう、それは、今でも、私の夢でもあるのです。
松岡さんへの惜別の辞は、ここでは語り尽くせません。
改めて記載できる日がある事を祈って筆を置きます。
健康同盟世話人代表:酒井洋明
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