日本健康同盟(略称・健康同盟)

 New Page6 (2005年6月12日−13日、記載) 


                治療情報−3(電気磁気療法:前ページからの続き

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  素晴らしい効果を発揮する電気磁気治療を紹介します!(その3)

  ● 以下の映像は、健康同盟・会長(酒井)の使い方の例:足、椅子に設置、寝床で頭部両側 並び、脚に設置、背中の下にも

    埋没させています。

    疲労回復、眼病、肩こり、頭痛、神経症、こむら返り、血液循環の改善、免疫力の向上、打撲、うっ血の改善、前立腺疾患の改善

    (排尿困難の改善)、排便の改善、耳鼻科疾患の改善、うつ病の改善、その他・・・などに効果を認めました。

     
2012年7月21日現在、使用中。     健康同盟・会長:酒井 洋明(69歳)


健康同盟結成準備会ニュ−ス(治療法)         *1995年8月号 

事務局(会長宅)・ 東京都品川区大井1−48−5・〒140・●03−3777−8590

連絡先(副会長宅)・ 〃都板橋区高島平3-11-4-1001・〒175・●03−3975−3031  



  自律神経失調症・不定愁訴症候群

交流式電気磁気療法(5)

                 

  に有効と思われる治療法

 資料編 {『磁気シャワ−療法』(現代

             

 

 書林・著者・石渡 弘三)より}



□ 瀕死の妻を蘇らせた磁気治療 (前紙面からの続き)

  ところが、帰ってきてからどうも様子がおかしい−−−。私がいろいろ話を聞くと、小水

  が漏れるのだという。しかもその小水が尿道から漏れるのではなく、膣から漏れるという

  のだ。これでは話にならないというので直ちに再入院させた。ところが婦人科では再手術

  は出来ないという。要するに手に負えなくなったというのだ。

  ひどい話もあったものだが、とにかく妻の担当は、婦人科から泌尿器科に変わり、再手術

  が行われた。手術は、朝の8時に予備麻酔がかけられ、手術室から出てきたのが夕方の5

  時という長時間に及ぶものだった。それは2800ccもの輸血を必要とするような大手

  術だった。しかし、幸いなことに一命だけは取りとめ、退院することができた。

  だがその後、妻の体調は一向に良くならない。血圧が不安定で、頭重・いらいら・疲労感

  不眠などを訴える。妻はその内起き上がれなくなってしまった。

  そこで3度目の入院をしてもらったところ、右の腎臓がまったく動いていないことがわか

  った。これは明らかに2度の手術の失敗によるものだった。そのために左の腎臓に負担が

  かかるので、右の腎臓を取らなければ駄目だということになった。

  私の妻は気の強いところがあり「子供たちを残して死ねないから手術をしてもらいます」

  といって、3度目の手術台に上がっていった。手術の翌日の夕方私は、妻の様子を見に病

  院へ寄ってみた。妻の顔色がどうも黄色く見える。私が見た目にも明らかに黄疸の症状を

  示していた。私はすぐ担当の医師のところに相談にいった。その結果、内臓に異常がある

  からもう一度切らせてくれということだった。

  そして、何と都合4度目の開腹手術が行われたのである。

  こんなに短期間に連続して手術を行えば、元がどんな丈夫な人でも身体に変調を来すので

  はないか。妻はその後、退院してからも、常に便秘、下半身の冷え、不眠、食欲不振、

  血圧不安定を訴えるようになった。

  

                   −9−

  私はその時、正直言って、これはもう再起不能かなと思ったものだった。その時、子 

  供に使っていた交流磁気治療器を妻にも使ってみようと思いついたのである。

 

  最初はこれを、手術した患部にかけ、足の裏にかけた。

  そうすると、1週間ほどで、便秘がなくなり、それとともに下半身の冷えも取れ、夜、

  良く眠れるようになった。それと同時に、
自律神経を安定させる意味で頭にもかけたと

  ころ、ものの見事に回復したのである。

   それ以来、22年の歳月が流れたが、妻は一度として医者の世話になったことがない。

  3年ほど前から健康診断をやっているが、特別異常はないということである。

  妻は磁気治療と並行して食事改善も行った。

  それは玄米食を中心とした自然食である。

  その理由は、妻には腎臓が一つしかない。もしそれを悪くしたら大変だということで始め

  たのである。

□ 私どもの食べ物:玄米食を中心に、野菜(八百屋で売っている旬の野菜)と海草を主に

  食べ、魚はちりめんじゃこ、にぼし等の頭から全部食べられる小魚類。

  タンパク質は豆類(豆腐、納豆、枝豆)で摂っている。そういう食事の改善とともに、

  妻は現在、「交流磁気治療器」を3台使って毎晩寝ている。

  そうして、今では病気とはまったく無縁の毎日を送っているのである。

□ 実用化に向けての二つの関門

  医療用具の製造販売を取り締まっている法律・2つ

  1. 通産省・主管の「電気用品取締法」 −−−技術畑の出身の石渡氏には容易な事

  2. 厚生省・主管の「薬事法」−−− 「権威ある二つの病院でそれぞれ30症例以上、

    効果があるということと副作用がないことを医者に立証してもらって厚生省に提出す

    る」これが大変なことだった。

□ 中川恭一博士との出会いが活路を開く


  医療の壁の厚さを知って、交流磁気治療器の実用化をあきらめかけていた頃−−−

                             →   次の紙面に続く

                   −10−

「日本健康同盟」機関紙・健康同盟ニュ−ス

1995年08月号

  自律神経失調症・不定愁訴症候群

交流式電気磁気療法(6)

                 

  に有効と思われる治療法

 資料編

            

□ 中川恭一博士との出会いが活路を開く (前紙面からの続き)

  そんな私に、一筋の光明が射す出来事があった。その光明をもたらしてくれたのは、私の

  治療器を使って良くなったという人だった。

  その人は、東京新聞の一枚の切り抜きを持って私を訪ねてきた。昭和49年11月9日付

  の「ニュ−スの追跡」という囲み記事で、「この人」という人物紹介記事だった。

  副題に「磁気の医療応用と取り組み17年」とついていた。私が中川恭一博士を知ったの

  は、その一枚の記事だった。まさにそれは、天の啓示とも言える出会いだった。

  −−−こうして臨床実験は先生、製造は私(石渡氏=脚注:編集者)という二人三脚の旅

  が始まったのである。

□ 臨床実験における最大の難問

  そして、中川博士が病院長をしていた、いすゞ病院で、交流磁気治療器の第1回の臨床実

  験が始まった。その結果があることはすぐ分かったが、問題はこの治療器を使用して副作

  用がないことをどう立証するかということだった。

  −−−昭和49年から始まった臨床実験は、54年の春にようやく終わった。その間、足

  掛け6年の月日が流れていた。 しかし、これで一病院である。

  中川博士の紹介で、3つの病院で同じようにデ−タ−を取り始めたが、最終的にデ−タ−

  をまとめてもらったのは、神奈川県の厚木市七沢にある、神奈川県立総合リハビリセンタ

  −である。この七沢病院は、主に脳出血や脳梗塞で倒れた患者のリハビリをする病院だっ

  た。当時、そこの診療部長をしていた和合 健二(現・小倉市湯川病院長)博士が東大の

  物療内科出身で中川博士(第1内科出身)の後輩だった。

   この和合博士と二度目に会った時の話である。和合博士は開口一番、「こんな強い磁気

  を頭にかけたら、どうなると思うんだ!」と私を怒鳴りつけた。その時私は「どうにもな

  りませんよ。頭の具合が悪いのが、かえってよくなりますよ」と答えた。

  「そんなはずあるか−−−」   和合博士といくら議論しても仕方がない。

                   −11−

  そこで私は、その場で治療器を自分自身の頭にかけて見せた。

  10分経ち、20分経ち、30分経っていった。その間私は博士と話し続けていた。そう

  すると博士は、「本当に大丈夫か」という。  私は「見れば分かるでしょう」というと

  「不思議だなあ」といって、今度は、10分だけ自分の頭で試してみるといって使ったの

  である。 理屈ではない。こういうことから先生方を説得していくのである。

  天下の東大の物療内科出身の博士でも、交流磁気のことはまったく分からないのであった。

  そして和合博士が10分ほど治療器をかけてポツンと言った。

 「これ効くよ−−−。実は、今日は朝から夜の8時まで働いて、眼がチカチカして痛くてし

  ょう
がなかったんだ。それがきれいに取れた。」

  それから和合博士は私にいろいろ質問してきた。この七沢病院は、漢方や鍼も治療に取り

  入れているユニ−クな病院である。それだけに和合博士の質問は多岐に渡った。

  しかも物療内科出身ということもあり専門的なことも聞いてくる。ただその頃は私も医療

  のことを相当勉強していたので、すべて答えることができた。

  和合博士は最後に「あなたの言っていることは漢方にも該当する。

  これはいいかも知れない。よしわかった。臨床実験をやるよ」といってくれたのだった。

  そこで私は逆に「先生、今この病院で困っていることはありませんか−−−」と質問し

  た。  すると博士は40幾つかの婦人のウツ病患者がいて、今日屋上から飛び降りる

  か明日飛び降りるかという程重症な病人がいると
いう事だった。そこで私は「持参した治

  療器を使ってみて下さい。1回30分、1日3回
かければ患者さんの様子も変わりますよ」

  といって使い方を教えて置いてきた。

  その後、1週間ほどして和合博士から、「あなたが言っていたことは本当だな−−−」と

  いう電話が入ったのである。博士の話では、治療器を使った後そのウツ病患者がケロッと

  しているということだった。

  それが臨床実験に本腰を入れるきっかけとなった。

 {◆ 健康同盟会長より=ウツ病が治った、という体験例は健康同盟会員からも出ている。

    いずれも、交流磁気(創健B型)を複数使用した結果だった。 }

                  −12−     


   →   次の紙面に続く

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